西ノ前遺跡

遺跡の立地と環境

山形県最上郡舟形町を東西に流れる最上小国川(通称:小国川)流域には河岸段丘が形成され多くの遺跡が確認されています。
その1つである西ノ前遺跡は、小国川左岸標高72mの川岸段丘上に立地しています。
段丘は、北に向かって舌状に張り出し、その先端分に遺跡が位置しており、比較的日照に恵まれた環境となっています。段丘端部から小国川までの距離は150m段丘直下の沖積地までの比高差は9mで急な段丘崖が形成されています。

小国川は現在も清流としてその名を知られ、鮎釣りで全国的にも有名です。周囲の丘陵地帯とあいまって縄文時代の人々に豊かな生活の糧を提供したと考えられます。

現在の西ノ前遺跡

昭和61年道路工事のための調査で発見

「西ノ前遺跡」は、昭和61年10月に山形県教育委員会が行なった遺跡詳細分布調査によって発見され、埋蔵文化財包蔵地として、県の遺跡台帳・遺跡地図等に登載されました。
この調査は国道13号線尾花沢新庄道路建設工事が具体化したことで実施されたものです。

その後、平成元年9月に舟形バイパスが高規格道路「一般道路13号尾花沢新庄道路改築工事」として事業規模が拡大されることになり、具体的な構遺物の存在を確認するための試掘調査が行われました。

 

縄文時代中期の遺跡と判明

試掘調査は、平成3年8月に計画路線内で遺跡にかかると思われる部分について実施し、その結果、土壙(どこう)、柱穴等の遺構や縄文土器、石器等の遺物が発見されました。特に台地上から2mほど低い西側の水田から多量の遺物がみとめられ、土器や石器の捨場の可能性が指摘されました。

また、この調査によって遺跡の範囲は、東西85m、南北125m、面積10,500㎡の規模をもつ縄文時代中期の集落跡であることが判明しました。

この結果を基に関係機関との協議を重ねて緊急発掘調査による記録保存を図ることが決定されました。

平成4年8月の発掘調査は、平成4年6月8日から10月6日までの延べ78日間実施され、調査面積は、4,450㎡を対象としました。
遺構は、長さ10mを越える大型住居跡3棟を含む住居跡9棟、フラスコ状土坑60基を含む200基以上の土坑及び無数の柱穴、土器捨場が発見されました。
遺物は、土器が圧倒的に多く整理箱にして約820箱、土製品、石器、石製品、剥片等が約80箱で合計で約900箱出土しました。
そして、落ち込み遺構を中心に土偶が多く発見され、その中で一際目立っていたのが、大形土偶である「縄文の女神」でした。

「縄文の女神」は調査区南端の落ち込み遺構のやや東よりの部分から半径3m程度の範囲で、頭部、胸部、腰部、脚部の5片に分かれて見つかりました。8月上旬の3日間で発見されたのは、奇跡としか言いようがありません。また、発掘を行った調査員と作業員の熱意が感じられます。

平成14年に町の文化財に指定

平成14年の調査では、遺跡の中心部分と考えられている平成4年調査地区の東半分の舌状段丘部分と、この西側の段丘縁辺部分を調査対象としました。調査は約1m四方の試掘坑を調査予定地区内に設定し、表土から遺構検出面まで人力で掘り下げ、遺構・遺物の有無を確認するという方法で42ヵ所を調査しました。

遺物や遺構の検出状況から、平成4年に調査が行われ住居跡や多数の土坑等が検出された遺跡のつながりの部分と推定でき、遺跡の範囲と断定されました。それを受け、7月29日に西ノ前遺跡が「史跡(遺跡)」として、町の文化財に指定されました。

現在は、記念碑と案内看板が設置されており、
今後、縄文の女神の広域活用の中心として環境整備される予定です。

 

山形県における土偶の分布

山形県内でこれまでに発見された土偶の数は、破片も含めて900点を超えています。
地区別の概数では置賜地区の25遺跡240点、村山地区の53遺跡440点、最上地区の14遺跡195点、庄内地区の19遺跡100点と近年の発掘調査により増加しています。

また、一遺跡あたりとしてみれば、米沢市台の上遺跡の169点が最多として注目され、次いで村山市宮の前遺跡や天童市渡戸遺跡では50点を超えています。その他、村山市西海渕遺跡や朝日町山居遺跡、最上町水木田遺跡などで30点程度の出土量があります。しかし、他の多くの遺跡では、1点ないし数点とごく限られた在り方が普通のようで、土偶を多く持つ遺跡とそうでない遺跡のあったことがうかがえます。