縄文の女神とは

考古学史上貴重な発見

平成4年6月から尾花沢新庄道路の建設ルートにかかる奥羽線舟形駅の西300mの小国川左岸に縄文時代中期とみられる集落跡の発掘調査が行われました。

同年8月4日から6日にかけ、調査区内の落ち込み遺構の直径2.5m程、地下1mの範囲から左足、腰、頭、胴、右足など5つに割れた土偶が相次ぎ出土し、復元を進めた結果、45cmと日本最大の土偶であることが分かりました。

色調は、全体で淡い赤褐色で、半円形を呈し、複数の穿孔(せんこう)が見られる頭部には、顔面の表現はなく、両側には耳飾りを意識した孔があります。

腕を省略し、角ばった肩からW字に乳房が張り出し、腹部には妊産婦を表現し、突き出した個所にヘソをあらわす刺突が見られます。背中には背骨を表す正中線が臀部まで垂下し臀部は後部に突き出た「出尻形」を呈しています。脚部端部は分離しておらず、立像として自立する工夫としてパンタロン風に裾広の形状です。底面には比較的広い抉(えぐ)りが見られ、焼きむらを避ける工夫が見られます。

縄文時代中期の作とみられ、人の姿を究極まで象徴化しつつ、高い様式美を誇る姿は、学術的にも造形的にも日本を代表する土偶です。
そして、この立像土偶は均整のとれた八頭身の美しい容貌から、いつしか『縄文の女神』と呼ばれるようになりました。

土偶はまじないのため割られたりして投棄されるものが普通ですが、今回は、狭い範囲から全身が出土し、しかも数cmから10cm程度のもの30体ほどが周囲から見つかっています。

土偶の位置付けについて、当時山形県教育委員会文化課の職員として発掘調査を担当された佐々木洋治氏は「他の土偶が儀式が終わればすぐに壊されるのと違って、ある程度の期間、安置されるなど中心的な土偶であった可能性が高く、生命を産む女性をかたどり健康祈願やまじないなどに使ったのではないか」と評し、土偶に詳しい国学院大学、小林達雄名誉教授は「これだけ大きい土偶の発見により粘土製の土偶がすべて同じ性格をもつのではなく、土偶に役割分担があることが解明される糸口になる貴重な発見」と評価しています。縄文時代のわが町にこうした 高度な精神文化が芽生えていた大きな証となるものです。

 

縄文の女神について

土偶は、縄文時代を代表する遺物の一つで、人や動物の形につくられた土製品です。現在までに日本各地で約20,000個が発見され、その出土分布は東日本に多く、西日本には少ないことが判っています。

そのほとんどは、故意に壊された状態で発見され、完全な形の土偶は、極めてめずらしく、しかも後に、復元されたものも決して多くはありません。
大きさも、大きいもので、高さが平均約15~20cmで30cmを超えるものは非常に稀れです。

作り方も初期のものは、中実で新しくなると中空の土偶が圧倒的に多くなります。 土偶の具体的な用途は、はっきりとは分かっていませんが、そのほとんどがバラバラに壊された状態で発見されていることから、呪術や儀礼などと深い関係があるのではないかと考えられています。 西ノ前遺跡の土偶は、高さ45cmと日本の土偶の中で現在一番大きくしかも欠損部がなく完全に復元された学術的にも、造形的にも縄文時代を代表する土偶です。

日本考古学協会会員佐々木 洋治

国宝土偶分布図

平成24年9月6日
国宝に指定

「縄文時代の土偶造形のひとつの到達点を示す優品として代表的な資料であり、学術的価値が極めて高い」という理由から縄文の女神は、発掘から約20年が経過した平成24年9月6日、国宝に指定されました。まさに名実ともに舟形町・山形県の宝であり、国の宝となりました。

山形県内としては6件目の国宝指定となり、土偶としては、長野県茅野市棚畑遺跡出土土偶「縄文のビーナス」、北海道函館市著保内野遺跡出土土偶「中空土偶」、青森県八戸市風張1遺跡出土土偶「合掌土偶」に次いで4件目の国宝指定となります。

縄文の女神データ

出土地
山形県最上郡舟形町
舟形字西ノ前西ノ前遺跡(集落跡)
年代
縄文時代中期(約4,500年前)
高さ
45cm
肩幅
約17cm(16.8cm)
腹厚
約7cm
股下脚長
約15cm
重さ
3.155kg (復元重量)
平成10年
国指定重要文化財指定
平成24年
国宝指定

海外での出展歴

平成10年
フランス「縄文展」
平成12年
上海「日本文物精華展」
平成16年
ドイツ「曙光の時代 - 日本原始・古代展覧会」
平成21年
イギリス 大英博物館「土偶展」

修復前の縄文の女神